庶民的帝王~王は乙女の夢を見る
「あ、あった」 目的の物を見つけて、竜崎桜乃は笑顔を浮かべた。 土曜日の今日、朝から色々な店をまわって、もうへとへとだった。 他のファンシーショップやキャラクターショップでは売り切れだったのに、今目の前にそれはある。 それはここでも人気商品らしく、もう1つしか残っていなかった。 『どこでもいっしょ』のトロの和風携帯ストラップ。 その最後の1つに桜乃は手をのばした。 すると、横からごつい太い手がのびてきて、トロをかっさらってしまった。 「あっ・・・」 桜乃がオロオロしている間に、トロは誰かのそのごつい手の中におさまってしまった。 その人物を桜乃は見上げた。 見上げる、という表現は、確かに正しかった。 彼は(そう、男だった)背がかなり高く、ごつい体系をしており、顔はゴリラのようだった。 その巨体は、女の子ばかりのこのキャラクターショップの中でかなり浮いている。 こ、こわい・・・ 涙目になりながらも、桜乃は勇気を振り絞り、ゴリラ男に向かって話しかけた。 「あ、あのっ・・・」 「おい、樺地、あったか?」 「ウス」 桜乃の声にかぶせるように、別の男の声が聞こえた。 ゴリラ男より背は低いが、自分より15センチは背の高い男に対して、偉そうに声をかけている。 ゴリラ男もその男には従順に従っているようで、軽く頷いた。 その男は、よく見れば整った顔立ちをしているホスト体型の色男なのだが、吊り上った三白眼が怖いと桜乃は思った。 樺地と呼ばれたゴリラ男は、色男に手に持った物を見せる。 色男の顔が喜びの表情に変わる。 「これを探してたんだ。よくやったな、樺地」 「ウス」 目の前にいる桜乃には目もくれず、男はゴリラをほめている。 「あ、あのっ・・・」 桜乃の小さい声は二人には届かない。 「メーカーに直接頼んでもよかったんだけどな。たまには自分で探すのもいいかと思ってな」 「ウス」 「あのっ・・・!!」 「今日だけで何軒回ったか覚えてるか?なぁ樺地?」 「ウス」 「あの・・・」 「俺様の見込んだ通りだ。やっぱりキ○ィランドは最高だぜ」 「ウス」 桜乃が何回も声をかけているのに、二人は桜乃を無視し、ファンシー雑貨屋談義に花を咲かせている。 (主に話しているのは色男の方だったが) 桜乃は泣きそうになりながらも、必死で大声を出した。 「あのっ!!」 桜乃の必死の大声に、ゴリラ男と談笑していた男はようやく桜乃の方を見た。 嬉しそうだったその表情がすっと無表情に変わる。 その冷たい視線に射抜かれて、桜乃はびくっと体をこわばらせる。 こ、こわい・・・!! 思わずごめんなさいと謝ってこの場を逃げ出したくなった。 でも、そのストラップは桜乃もずっと欲しかった物だ。 どうしても、欲しい理由があったのだ。 男達が話していたように、桜乃も一日中歩き回ってやっとここで見つける事ができた。 諦めたくはなかった。 普段だったら、絶対諦めてしまうのに、今日だけはそれはしたくなかった。 だから、桜乃は勇気を振り絞る。 「あの・・・!!それ、私が先に・・・見つけて・・・・・・・・」 振り絞ったはずの勇気は、冷たい視線の前には段々萎えていき、声もどんどん小さくなった。 「アーン?」 男は眉をひそめた。 素行不良の生徒がよく使うような疑問形で聞き返されて、桜乃の声はますます小さくなる。 「そのストラップ・・・私が・・・・取ろうとしたのに・・・・この人が、取っちゃって・・・・・・私も、それずっと欲しくて・・・・・・今日、探してて・・・・」 言いたい事が上手く言葉にならない。 こんな説明で分かってもらえるとは到底思えなかった。 桜乃は涙目になりながらも、必死で目の前の男を見上げた。 男は桜乃にジロジロと無遠慮な視線を投げかける。 桜乃はびくっとしてさらに縮こまった。 桜乃にとって永遠とも思える時間が流れた(実際には数十秒だったが) 色男は、隣に立つゴリラ男を見た。 「おい、樺地。今のは本当か?」 「ウス」 ゴリラ男が頷くのを見て、色男はゴリラ男からストラップを取上げると、桜乃の方に放り投げた。 「ほらよ」 「あっ・・・・わっ・・・・・」 桜乃はそれを上手く受け取れなくて床に落としてしまった。 それを見て、色男がクッと笑う。 「何やってんだよ。お前ニブイな」 「あ、え、あう・・・はい・・・・・・すみません・・・・」 桜乃は真っ赤になりながらストラップを拾う。 長い三つ編が揺れて、桜乃の体の前にたれた。 「え・・・でも、これ・・・・?」 体を起こしながら、色男に遠慮がちに視線を送ると、彼は唇の端を上げて笑った。 「お前の顔見たら、お前が嘘ついてないのは分かるからな。樺地が横取りしたっていうのは本当なんだろうよ」 「あ、あの、でも、本当にいいんですか?」 「ああ、いいぜ」 色男はあっさり頷き、スタスタと店の出口に向かって歩き出した。 「行くぞ、樺地」 「ウス」 「あの・・・ありがとうございました!」 桜乃はその後ろ姿に深々とお辞儀をした。 顔を上げた時には、二人の姿はもう店内にはなかった。 見かけはちょっと怖かったけど、意外と優しい人だったな。 あ、名前聞くの忘れちゃった。また会えるかな? レジで会計を済ませ、桜乃は浮かれた気分で店を出た。 すごく苦労して本当に欲しい物を手に入れた時、人間は上機嫌になる。 鼻歌を歌いながら、スキップでもしそうな勢いで店を出た時、何かがいきなり目の前に立ちふさがった。 「きゃっ」 よける間もなくぶつかってしまう。 「ご、ごめんなさい」 とっさに謝った桜乃は、それが先ほどのゴリラ男だという事に気付いた。 確か、樺地と呼ばれていた。 樺地は、桜乃の謝罪の言葉に何も返事をせず、いきなり桜乃の腕を掴んだ。 「きゃうっ」 そのまま桜乃の腕をひっぱっていく。 「あ・・・あの・・・離して下さい・・・・」 桜乃の言葉が聞こえているのかいないのか。 樺地は黙って桜乃をひっぱっていく。 桜乃の脳裏になぜか幼稚園の時に読んだ絵本のタイトルが浮かんだ。 『とにかくさけんでにげるんだ』 変質者や誘拐魔や露出狂などに会った時にどうするかを書いた本だった。 タイトルが印象的だったので中学に入った今でも覚えている。 しかし、実際にそういうシーンに直面した時、人はその通りに行動できるとは限らない。 結局桜乃は叫ぶ事も逃げる事もできずに、樺地に引きずられるようにして道を歩いていった。 いくつかの角を曲がり、樺地はある定食屋の前で立ち止まった。 店の前に看板には『のんちゃん』と書かれている。 「遅かったな、樺地」 「ウス」 「お、ちゃんと連れてきたじゃねーか」 「ウス」 店の前のガードレールに寄りかかるようにして、腕を組みながら先ほどの色男が立っていた。 側には黒塗りの大きなベンツが止まっている。 先ほどは譲ってくれたけれど、やっぱり気が変わってストラップを返せと言われるのだろうか。 桜乃はびくびくと色男の顔色を伺った。 「おい、お前」 「は、はいっ」 「名前は?」 「え・・・・・?」 予想外の言葉に桜乃の思考はついていかない。 色男はイライラと組んだ腕の上で指を動かし、もう一度同じ言葉を繰り返した。 「名前だよ。お前の」 「は、はい・・・・竜崎です」 「下の名前は?」 「あ、え、はい、桜乃です」 「桜乃ちゃんか」 色男は桜乃の名前を何回か口の中で繰り返す。 桜乃は次は何を言われるのか、びくびくしながら男の様子を見ていた。 「桜乃ちゃんよ。腹へってねーか?」 「え・・・あ・・・あの・・・えっと・・・・・」 「どうなんだよ?」 「はい・・・すいて・・・ます・・・・」 朝からずっと歩きっぱなしで、しかも今はお昼を過ぎている。 おなかはぺこぺこだったがお金がないので、家に帰ってから何か食べようと思っていた。 桜乃の返事を聞くと、男はガードレールから身を起こした。 「じゃ、OKだな。行くぞ」 そして、目の前の定食屋にスタスタと入っていく。 樺地もその後に続いた。 桜乃はその様子をただぼ~っと見ていた。 入口のガラス戸を開けて、色男は桜乃を振り返った。 「何してんだ、早く来いよ」 「えっ、えっ?」 色男に手招きされて、桜乃は慌てて入口に近づいた。 桜乃が来たのを見て、色男は中に入っていく。 「いらっしゃい!!」 中から威勢のいいおばさんの声がする。 「おばちゃん、いつものね」 のれんを右手で上げてくぐりながら、色男は店の奥に声をかけた。 小さな定食屋だった。 テーブル席二つとカウンター席だけでいっぱいになってしまうような店。 お昼時だというのに客は誰もいない。 色男はカウンター席に座り、自分の左隣の椅子をぽんぽんと叩き、桜乃にそこに座るように示す。 桜乃は黙ってちょこんと席に腰掛けた。 樺地は桜乃とは反対側、つまり色男の右隣に窮屈そうに腰掛ける。 そしておばちゃんから人数分のおしぼりとお冷を受け取り、皆に配り始めた。 定食屋のおばちゃんがニコニコしながら色男に話しかける。 「おや景吾ちゃん、最近来なかったじゃない」 「大会とかあってな、忙しいんだよ」 「宗弘ちゃんも久しぶり」 「ウス」 おばちゃんの目が桜乃の上で止まる。 「あらあらあら、景吾ちゃんが女の子を連れてくるなんて初めてじゃない」 嬉しそうに声を上げるおばちゃんに桜乃は少し赤くなり、「こんにちは」と頭を下げた。 「礼儀正しい良い子じゃない。景吾ちゃん、こんな良いお嬢ちゃんを騙しちゃダメよ?」 「うっせーな、そんな事しねーよ。それより、いつもの早く作ってくれ」 「はいはい、景吾ちゃんったらテレちゃって」 景吾と呼ばれた色男に追い払われるようにして、おばちゃんは厨房の奥に消えた。 「景吾ちゃんって・・・・」 「・・・・・・・・。そういや、自己紹介がまだだったな。俺は跡部景吾。こっちが樺地だ」 頬をうっすらと赤く染めながら、跡部が軽く樺地と自分を指差しながら自己紹介をする。 樺地は「ウス」と桜乃を見ながら答えた。 「あ、私は竜崎桜乃です」 跡部には名乗ったけれど、樺地には名乗っていない。 多分横で聞いていたとは思うけれど、一応礼儀だと思ったのか、樺地に向けて桜乃はぺこりとお辞儀をした。 それからお互いに学校や誕生日などの基本的プロフィールなどを教えあう。 跡部や樺地が同じ中学生だと知って、桜乃は驚いた。 絶対に高校生だと思っていたから。 話が趣味の所に移った時、桜乃の瞳が輝いた。 ファンシー雑貨屋で現役中学生男子を見かける事自体が珍しいと思っていたが、桜乃と同じく跡部もファンシー雑貨やキャラグッズ集めが趣味らしい。 同じ趣味を持っている者同士は初めて会ったとしても話が大いに盛り上がる。 それは内気な桜乃とて例外ではなく。 跡部の頼んだ『いつもの』鯖味噌定食が出来上がってきた時には、桜乃は跡部にかなり打ち解けていた。 さっきまではぎこちなかった微笑みも、時々困ったように震える瞳も消え、今は自然に笑えている。 跡部と桜乃は鯖味噌定食を食べながら、こげぱんといちごぱんの関係について討論を交わした。 ご飯を食べ終え店を出ると、跡部は桜乃に名刺を渡した。 女子高生が持つような名刺ではなく、サラリーマンが持つような味も素っ気も無い普通の名刺である。 そこには跡部の名前と氷帝学園テニス部部長という肩書き、それに携帯電話の番号が書かれていた。 「限定品で欲しいグッズがあったらここに連絡してくれ。融通きかせるから」 「はい、ありがとうございます」 笑顔でお礼を言いながら名刺を受け取った桜乃は、テニス部部長という文字を見て、小さく声を上げた。 「跡部先輩もテニス部なんですね。私もテニス部なんですよ」 「それじゃ今度テニス教えてやるよ」 「はい、お願いしますね」 定食屋の前に止まっていたベンツの後部座席のドアを樺地に開けさせ、車の中に乗り込むと、跡部は樺地に軽く頷いた。 樺地はドアを閉めると、助手席に乗り込む。 跡部がぱちんと指を鳴らすと、車は静かに走り出した。 ベンツが車の流れにのるのをぼんやりと見ていると、何か硬いもので頭を軽く叩かれた。 「何してんの」 「あ、リョーマ君」 ラケットを持った越前リョーマが桜乃の後ろに立っていた。 土曜とはいえ、常勝青学を唄う男子部は部活があったのだろう、制服を着ている。 叩かれた頭を軽くなでながら、でも、最愛の人の姿に桜乃は満面の笑みを浮かべる。 「そうだ!リョーマ君、ストラップ、ようやく見つけたんだよ!」 「ふぅん・・・よかったね」 「うん!」 リョーマの肩にかかるテニスバッグのチャック部分に揺れる、トロの和風携帯ストラップを見ながら、桜乃は笑顔でリョーマの後を歩いていった。 2002年12月3日 《終》 ファンシー景吾と桜乃の出会い編。 トロの和風携帯ストラップは売り切れるほど人気製品ではありません、念の為。 桜乃はリョーマとお揃いになるので、このストラップを欲しがってたわけですね。 ちなみにリョーマのストラップは彼が買ったものではなく、奈々子がリョーマに買ってきたものです。 ファンシー景吾に加えて、うちの景吾は庶民派というオプションも付いてるのでこんな事になってます。 ・・・・・どんどん、オリジナルのイメージから遠ざかっていってるけど、気にしないように。 |